体験者さんの声
最初見えた世界は緑の森のように見えた粒子のあつまりのようなものがオレンジ色、黄色の層をなして 白くなっていく世界で、はじめ腰巻をつけただけの人間の男性の姿をしていたものがありましたが 心の中の感情はなく、そのうち肉体も消えて意識のようなものが世界を浮遊していました。 そこはどうやら地球ではないみたいでした。
今回の質問に関連する学びの過去を見るため三次元の記憶へ向かいましょうとの エマさんのガイダンスに乗って、次の世界へ入ってみると次の場所は地球でした。 砂地の高台から遠くに白い壁でオレンジとピンク色の中間のような色の屋根を持つ建物が 立ち並んでいました。沿岸沿いに切り立った高台の町で、隣には美しい青色の海が見えました。 でも、不思議なことに町に人の姿は見えませんでした。
私は、最初10代の女の子でした。白い服に赤い靴を履いていました。 離れた砂地の丘にたつ小さな白い土壁の家、井戸があり、ヤギがいるようです。 家の中へ入る頃、私は6、7歳の女の子になっていました。 中は簡素で、木でできたダイニングテーブルがあります。家族は父、母と祖母。 家の中には母が飾った野草がたくさん活けられていて、刺繍のほどこされた布をみました。
家族4人のついたテーブルで父の中に入ると、「義務、家族への責任」を強く 感じているようで、その時の彼の中に私に対する特別な意識は感じられませんでした。 母の中に入ると、家族への愛と父を深く愛していることを感じました。私と祖母に対しては 同士のように感じていて、現世で私の知るような母親の愛情という感じではありませんでした。 母と祖母の姿が目だけを出した紺色の装束であったので、中東、アラブ圏のように思いました。
次に、今回の私の知りたいことに関係する大変の場面へ移動することになった時、 とても小さく、私の奥に拒絶を感じ、よくないことが起こることを理解しました。 そこは真っ暗でした。私は一人です。するとすぐに、強い悲しみが深い内側から溢れ出し、 言葉を話そうとすると泣いてしまいうまく話せません。何か争いがあり、たくさんの人が いなくなり、私も家族を失ったようでした。暗くて何も見えないので、私も死んだのかと 思いましたが、私は地下に掘られた穴の中にいて無事でした。 木の扉を開けて外に立った時、遠く町のあった方を眺めるように崖にたつ私の中には 強い悲しみがあるのですが、その女の子はとても強く、生存本能なのかすでに気持ちが 切り替わっていて、悲しみと並行して生きるための強い決意がありました。 家族を失ったのですが、強烈な悲しみがあるのに、不思議に怒りは見られませんでした。
少しのち、私は20代後半になっており初老の男性が指導者としてある、宗教施設か コミューンのようなところにおり、周りは女性だけでした。たくさんの女性が 共に生活をしてますが、精神的には隔絶しています。そして私はただ祈っていました。 心には悲しみがあり、悲しいことが起こらないために祈ることが助けになると信じていました。
人生最後の時は、すでに自分の死期を悟っていて、周囲の人に一人で逝かせてもらうよう 伝え、壁にもたれて最後の瞬間を待っていました。人の気配を遠くに感じながら一人です。 死ぬことに対しての思いは、安堵でした。ようやく解放される、ようやくこの 苦しみから自由になれると感じていて、訪れる死を喜んで受け入れようとしていました。
また、人生を通し続けた祈りでは、生涯自分の悲しみが癒えず、悲しい出来事がなくなることも なかったことを理解しており、祈るという方法では苦しみから救われないことを理解しました。 そして、この悲しさ、世の悲しさを克服する方法を知りたいと強く願って亡くなりました。
振り返って今考えると、この時の私の人生は一貫して人との繋がりが希薄であり 孤独を通した一生でした。それを踏まえて今を見ると、 自分の中に常に必要だと感じる自分自身との対話の時間、独りの時間、 他者への興味の薄さの原因がわかりました。
ハイヤーセルフ(私は目覚めた人と呼びました)はエネルギー体のようなもので、 私の質問には「わかっているでしょう、決める必要はない、ただ時がくれば今がその時だとわかる。 それまでは今を重ねていく。」ということ。
自分が反応してしまうことに対しては、「同じ、同じ、同じ、一つ、一体」 というような直感を受け取り、大切な指針は、ゴールのように設定して向かうというよりも 今を注意して積み重ね、時が満ちた時に自然にことが成されるということだと理解しました。 また、外側にある事象はすべて内なるものの反映なので、一体であり同じものであることだと理解しました。 とても強くためになる体験でした。
先日ヒプノセラピーのセッションを受けました。
私は瞑想に上手く入ることが出来ないので、具体的で鮮明なことが浮かんでくるのだろうか…と少し不安に思っていました。
誘導に入る前、常々問題としていることを先生に話すところから感情が溢れてくる感じがしました。 湿った石の螺旋階段を降りて行く先はすごく暗くて、行くのが怖かったです。 でも、一段ずつ降りていくとうっすらと明るくなってきて、緩やかな流れの澄んだ水の川を船で下り、穏やかな気持ちで過去世に向かいました。
私はかなり昔、時代はよくわからないけど…弥生とかそんなような時代で23歳でした。 服も少し汚れた生成りの布を纏っていて、裸足。顔はハッキリとわからず、でもアジア人かと。 柱と屋根、簡単な囲炉裏のようなものがある簡素な家に一人でいました。
庭に一羽だけ鶏がいました。 家財道具も殆どなく、ただ居る、という感じ。 庭に向かって座り一人で食事をとっていました。 次の場面では18歳で、夕焼けの時間に自分と黒い牛一頭で、村の人々を(その中に多分家族もみんな入っている)見送っていました。 その人々は何かを得るために村を出ていったようでした。 とても寂しかったです。
その後15歳の私は草っ原に寝転んでずいぶんリラックスしていて、心も穏やかで、のんびりしたら家に戻ろうと天気の良い昼寝を楽しんでいました。 家族の姿が出てくるわけではなかったけど、家には両親と弟と妹がいるという感覚だけがありました。その場面では一人でも、一人ぼっちの寂しさは感じられませんでした。
その後死を迎える時は、最初に出てきた家の中で、固い板の間に横たわって生涯を閉じました。 ただ寂しさと、ずっと家族の帰りを待ち続けていたということだけでした。 相変わらず顔はハッキリ見えないながらも表情が乏しい感じがしました。 本当に誰とも関わりがなかったようでした。感じる寂しさを誰とも共有することもできずにいました。
黒に近い青っぽいぽっかりと浮いたような空間で、ハイヤーセルフは言葉を発さず、ただ私をふんわりと覆ってくれました。とても大きい肌触りの良い布で覆われるような感じでした。安心感がありました。 ハッキリくっきりとしたものが見えたわけではなく、どちらかというと足の裏に感じる冷たさ、痛さや、乾いた空気だな、とか砂っぽいなとか、鼻から入る空気とか、夕陽の眩しさとか、そういった「感覚」は沢山感じられたように思います。
後はリラックスした自分の体が、過去生の中での怖さ?を感じる場面があって鼓動だけが早くなる時間もありました。それは18歳の時の場面で感じました。 この体験から自分なりにメッセージを受け取り、今抱えている問題との関係は何だろうと考えるのですが、 ずーっと1人だったから、自分に対して確信が持てないのかなと。
また以前占星術のセッションで、「パートナーシップや狭い人間関係で様々なことを学んで興味を追求していくこと」と言われていたなーと思い出しました。 それと繋がるような気がしています。家族との関係のなかった過去だったので、今世でそこを育んでいくのかなと。 このように漠然としか受け取れなかったです、が、 自分に向き合う意識のある人が自分で答えや癒しを導き出すための手助けをしてくれるんだなーと思いました。 後、終始涙が流れ出てきてました。 それだけでも癒されたのではないかと思います。 言葉で受け取るより感覚に流れ込んでくるような感じでした。
私は自分が傷つかないように、殻を作ったんです。 自分で殻を作っておきながら、外に出たい。苦しいよー。ともがいているようなところがあります。それを今回の退行催眠で何かヒントが掴めたら嬉しいなと思っていました。
対抗催眠、最初に行き着いたところは、小さな港、船着場でした。 降りてすぐ目の前に坂がある場所。この場所は10年前に行った沖縄の久高島です。 その坂を登り、間も無く私が暮らしていた家につきました。私はいつも縁側に腰掛けて、晴れた空を眺めて、強い日差しを浴びていました。 小さな島で、特に変わりない日々を過ごしていて、縁側に座って空を見上げて、何かが自分にやってくる事を漠然と待っていた。そんな生活だった気がします。 この人生で印象的なシーンがいくつかありました。
一つは、27歳の頃、嫁入り前の若い私とおばあちゃん、お父さんと兄。4人で食事をしていました。 私は父のマナーのなさに常々うんざりしていました。例えば使用済みの楊枝をテーブルの上に置きっぱなしにしたり、片膝を立てて食事をしたり、食べた魚の骨を、家族で取り分けて食べるおかずのお皿の上に戻したり。 そんな父の体に入って、父の感情を味わった時に父が思っていたことは、「ミカ(娘、この前世での私)は細かいことに縛られて苦しそうだなあ。あれはダメ、これはダメと。そんな風に生きてたら息が詰まるぞ。そのままでいいんだよ。何も変える必要なんかない。俺のようにリラックスしてみろ。楽だぞ」
私自身の口から男言葉で気の抜けた喋りが自然と出たのがすごく面白かった。 そして次にその場にいたおばあちゃんの肉体に入り、おばあちゃんの感情を味わいました。「ミカはそのままでいい。そのままで完璧なんだよ。でもな、年を重ねないとこのままでいいっていうのはなかなかわからないものなんだろうな。その葛藤が人を育てるのかもしれないから、悩んでみることさえも変えずにそのままでいいんだよ」とこれまた、おばあちゃんらしい口調でスルスルと私の口から言葉が出ていくのが面白くて。
いつもと変わらない昼下がり。私はその時32歳でした。 縁側に座って青い空を眺めていたら庭に人が入ってきた。 その人は何を話すわけでもなく、私の横に座って空を眺めてみたり、庭木の手入れをしたり。ただ、空気のようにそこに存在してくれていた。結婚するってこういうことなのかなと考えてみた。 その人は今の夫です。 私は今世で20代の頃に夢に出てくる男の人がいました。 その人の顔は思い出せませんが、雰囲気、エネルギーの記憶はしっかりある。
今の夫と結婚することが決まり、この人の雰囲気やエネルギーは夢の中のあの人だと気づきました。夫と現実の世界で会うようになってから、あの人は夢に出てこなくなりました。 そして退行催眠で、庭の手入れをしてくれて結婚てこういうことなのかと考えさせてくれた人もまた、今の夫なんです。 肉体が違うだけで、私はずっと同じ魂の人といるようです。
今の夫と初めて会ったのは、高校の入学式の時でした。 後ろから背中を見ただけでしたが、いた!!と思ったことを鮮明に覚えています。 そして、この沖縄のミカの人生のときに夫は先に旅立ちました。 横たわって白い布を被った夫の亡骸の前で私は後悔をしていました。 なんでアレもコレもして欲しいといつも言っていたんだろう。。と心底後悔しました。ただいるだけで完璧だったのに。いなくなってから気づいた。と。
独り身になった私の晩年は寂しかった。 いつも青い空を見上げて、心地よい風を肌に感じて。 それだけだった。 あの人とその風を感じたかった。
最後にハイヤーセルフと繋がりました。 緑色の光の中で金色に光る存在をハイヤーセルフと感じました。 そして、この緑色は私の色だと思いました。 私は人を色で認識するようなところがありますが、自分自身のことはわからなくて。 でも自分の色をはっきり見たように思います。 ハイヤーセルフからのメッセージは、私が苦しいのは、こうじゃなきゃいけないという自分を縛り付ける癖があるから。正しくあろうという変な正義感が、自分自身はもちろん、家族を苦しくしている。その縛り付ける癖をやめたら楽になるのはもちろん、流れに逆らわずにいることで違う何かが見えてくる。と。
そして、あれもない、これもないではなくて、もうすでに揃っている。それはここに、そして自分の内側にある。と。 涙が出ました。 神秘に触れて涙が出ました。 私が退行催眠で自分自身を知りたいと思っていたことについて、十分な答えをもらったように思います。 変性意識に入った時に、今世で亡くなったおばあちゃんと会えました。
沖縄の家の仏壇の前に、肉体を持って存在していました。 ただ、見た目は私のおばあちゃんとはちょっと違うんです。 でも魂は私のおばあちゃん。嬉しくて、もう会えないはずだった人の魂に触れ、寂しかった気持ちが癒されました。 今世では14年前におばあちゃんが亡くなりました。 共働きだった両親に代わって、身の回りのことをお世話してくれたおばあちゃん。
病院で息を引き取り、私は自分の車の助手席におばあちゃんを乗せて自宅まで帰りました。一緒に帰りたかったんですね。 でも魂が抜けたおばあちゃんの肉体は、おばあちゃんであるはずなのに、おばあちゃんじゃないんです。私がそばにいたいのは肉体ではなくて、その魂だったんですね。 人と交流をしている時に、肉体を持って相手を認識しているのかと思い込んでいましたが、私が見ているのは肉体ではなくて、その奥を魂なんだと今回の貴重な経験で実感しました。 44歳、自分を知るという経験をしました。 遠くへ旅に出るのも楽しいけど、内側への旅はもっと面白かった。
・催眠に入る前にお話したこと
小さい頃から、表の裏側の方に関心をもち(社交辞令でご近所に愛想笑いしながら家の中で批評はじめる母親や戦争で人を殺しながらみなと仲良くしろという大人や、人間の首に鎖をつけ船で運ぶ奴隷制度の残虐性などなど)、いたって普通の家庭環境ではあったものの、なにをするにも「本当はどうなんだろう」と考えていたので、よく「なんでなんで」を連発する子供でした。なんとなく、悶々としながら(といっても表面上は普通に成長したと思います)時は過ぎ、高校一年の時に、母親が突然の事故で亡くなりました。祖父母は、仏教からクリスチャンに改宗し、その息子である父親は宗教的に宙ぶらりんで、亡くなった母親の葬儀をどうするかや事故の対応など、父や親戚はてんてこ舞いで、心臓が止まった母親の遺体だけが一人ぽつんと和室に寝かされていました。トイレにいくのにその部屋の前を通りながら、母親の遺体のそばに行きたいけど誰もそれどころではなく遺体のそばに寄り添う人もなく、怖い気もして、「朝まで普通に生きていた人間が死んだら本当に体が動かないんだ、死んだらなにもかも止まるんだ」ということが、衝撃でした。そこから、更に、物事の裏の観察に加え「生と死」って何?というテーマが始まりました。
表側としては、保健師として仕事をしながら、「医療が発達すればするほど、病人が増え続け、健康寿命が全く延びない日本」にも違和感を覚えながら、子供を妊娠中にホメオパシーのことを知り、そこからホメオパス養成学校にも通い始め、裏の世界の知識が深まるにつれ、逆に表への批判が強くなること、不自然の反対の自然を追及しても、結局自然さを競い合うような現象が起きること、そんなことも経験し、「陰陽があるのが人間でもあり、そこを超えるために今世があるんだな」と思い始めたのがここ数年です。
・催眠で見た景色と感じたこと
▼最初のリラックスする場所
岩山、長野県、なぜか寒くリラックスしてなかったのが今思うと笑えます。
▼旧石器時代 ヨーロッパ
7歳、女の子、一人、家は岩の洞窟、焚火、家族のような3人づれが入っていて、生き延びるためにどうしたらいいか教えてもらっている。でも、自分の気持ちは、怖くもなく淡々と平和な感じ。家族のうち女の人は、亡くなった母の魂。7歳で一人でいる私をかわいそうで家族に向かい入れてあげようかと思っています
▼川を流れるシーン
対岸に少し明かりがみえて、この反対側には、人がたくさん住んでいます。その人たちの中には、サロンメンバーの方たち(PRANA FOREST yogaオンラインメンバーシップメンバーのこと)の魂を持った人たちがいます。(これはセラピー後に感じました)
▼アリゾナの大地
9歳?女の子、茶色のつやつやの馬に乗って走っているシーン。家には家族がいるけども、家族の印象はない。アリゾナ州には、5年前に家族で行きました。ロスから車で転々とまわり、セドナやモニュメントバレー、グランドキャニオンに泊まりました。モニュメントバレーでは、ポツンポツンとある民家に突然の訪問をしたくてたまりませんでした。
エマ先生の質問をはっきり覚えてはないのですが、確か何かのシーンで「私は死んでいて肉体がすでに焼かれて無い自分」のあとに「今度転生するとしたらどんな人生?」だったと思うのですが、「もういいです、人間はもういいです」と答えてました。 ハイヤーセルフは、まさに写真のようで、光でした。「課題をよく頑張ったね、もう卒業していいね」というようなことを言われました。 ・今思うこと 自分の内側に沸き起こるもやもやから目をそらさずに生きてきて、現実のできごとよりも目に見えない世界に浸る方が大好きなのに、現実世界では、超現実すぎる仕事に離れても戻るという縁があって、なんでだろうと感じてたのですが、今回のセッションで感じたのでは、私は「スピリチュアルや魂、自分の内側に意識をむける」ことになじみがない人達に影響を与える(ちょっと上から目線すぎますが)役割があるのかなと思いました。
あとは、この不条理なせつない地球に、もしかしたらもう転生しないかもしれないと思うと、残りの人生を大切に生きていきたいなと思いました。死んだ母親の魂も、死をもって肉体を大切にすること、肉体なしでは3次元を楽しめないことを教えてくれたこともわかりました。 セラピーでは、なんとなくこの最後のハイヤーセルフとの出会いが楽しみで急いでいたかもしれません。 なによりもエマ先生の誘導の声が心地よく、自然とサラっと水のように風のように誘導してくださり、すんなり入りすんなり戻ってくることができました。
終わった後は、疲れがどっときて寝ちゃいました。一日たった今も、まだ不思議な感覚は続き、これからもふとした時気づきが湧いてくるようで楽しみです。 ありがとうございました。
最初はエマ先生とお話しして、不安なことや悩んでいることを共有しました。 私は昔から人前(特に大人数)で話すことがストレスなのに、そういう仕事ばかり選んでいる気がするっていう話をしたら、『私も緊張するし、ほとんどの人がそうだよー』的なことをラフに受け止めてくれて、それだけでホッとしました。
それと私は流産を4回経験していて、毎度様々な気づきがあるのですが、あまりにも続いてるので気になっていることをお話しました。 ヒプノセラピーに入って… リラックスする場所として私がいたのは、森の中の家でした。
内装も木を感じられる家で大きな窓があって、その側にある清潔な真っ白の洗い立てのシーツが敷かれたベッドの上で休んでいました。森から差し込んだ光がキラキラと家に差し込んできて、すごく心地よかったです。
その後たどり着いたのは、砂漠のような開けた何もない土地でした。私は裸足で、ごつこつした脚を見て、男なんだなーと気づきました。ここは300年くらい前のモンゴルで、私はユンという名前で26歳ということを思い出しました。
私はベージュの褌一枚のほぼ裸で、小屋のような家に着いたら、そこには誰か寝そべった人と近くにもう一人誰かいました。おそらく両親です。 食事の時間は大好きな妻と息子と食卓を囲んでいて、家族のことが大好きで大好きでっていう感情が襲ってきて、涙が止まらなくなりました。
特に妻の全てが愛おしくて、胸が締め付けられるくらい好きということを思い出して、よくわからないのですがその時に、これを思い出したかった!思い出せて本当によかったー!と心底思ったことを覚えています。
その次のシーンでは大荒れの海で私は必死に船にしがみついていました。風も強いし手も痛くて今にももぎれそうだしで、必死でした。社会を良くするために?モンゴルから相当遠い土地に向かう必要があって長い旅の途中の航路で、仲間もいたのですが彼らは海に流されてしまって。
ショックと共に自分はなんとかして生き延びねばーと感じていました。 その次のシーンでは、知らない草原の上でねっ転がり空を眺めていました。知らない土地に漂流して生き延びていて、そこで大好きな家族を待っていました。家族がここに来るわけないのを分かっていながら、せつないのですが大好きな妻のことを心に浮かべるだけで幸せで。
最期のシーンは、囲炉裏の横に横たわっていて、身体はどこも痛くないけど食欲がなくなり動けなくなって死を迎えました。死に対して怖くもなく、知らないやさしいおばあさんが見守ってくれていて、ありがたいなー、自分は何て幸せなんだと感じながら眠るように息をひきとりました。でも妻と息子に会いたかったなーとちょっと悔しさを感じていたのも事実です。
その後ハイヤーセルフと出会えた時は、ハグをしてもらってる時のような、全て受け止めてもらえて守られている、最強?な感覚に包まれました。
ハイヤーセルフに何を質問してもその感覚に包まれて、とにかく何が起きても大丈夫なんだってことが本当に感じられて。この感覚を味わえたことは、とても大きなことで…これから先の人生で必要以上に悩むことは少なくなるし、生きやすくなること間違いないです。
亡くなったおじいちゃんやおばあちゃん、以前飼っていた猫にも会えたことも衝撃でした。肉体としては会えないけど、いつも応援してくれていたことがわかり、メッセージももらえて至福の時間でした。
長文になってしまいましたが、書き表せないほどの経験をさせていただきました。エマ先生の存在をすっかり忘れちゃうくらい、私は前世の旅を満喫できて。前世を知り、それを踏まえて今を生きると、目の前に起きている幸せにたくさん気づけるように思います。私がユンだった時の妻は、絶対に今の夫です。私がどこか旅に出かけたり、ちょっと用事があるから出かけたりする時も、『絶対帰ってきてねー』と言ってくるし、帰ってくるだけで異常なくらい喜んでくれて、今まではちょっとオーバーな人だなって思っていましたが、意味が分かりました。もう離れ離れになりたくないんだなーと思います。改めましてエマ先生、素敵なガイドをしてくださって、貴重な体験をさせていただき本当に本当にありがとうございました。
2時間あっという間に感じて、終わった直後、それにはびっくりしました。2時間の間に過去の人生を経験をして、心もすごく動き、その日は本当によく眠れました。
3日間くらい、自分なのに自分じゃない感覚で、新たなテーマみたいなものが出てきたり、理解できたり、、今の自分がいるという意味を考えたり、とても有意義な時間になりました。 そこから少しずつ、時間をかけて深い部分に浸透していき、何かわからないですけど、絡まった紐がほどけて、遠回りをやめて、わかりやすい道を進んでいるような感覚があります。 私がたどり着いたのは、自然が美しい場所、ヨーロッパ(北の方)、8世紀?もっと前かな?わかりませんが古い時代の小さな田舎町、26才の少年でした。 彼は養子で、おばさんの家族と一緒に過ごしていました。 特に問題なく、わがままも言わず、義理兄妹の面倒をみて普通に過ごしているようでした。 彼は自然界と対話する時間が大好きで、とても大切にしていて、風の音を聴き、自然の声を聴くことが大好きな少年でした。 年老いた彼は、小さな街に住んでいました。その辺りから、どーんと重たくのしかかる感覚になったのですが、彼が人生で経験してきたいろんな感情や、その時代に生きた街の人たち、友人、家族、みんなの想念が重たく彼にのしかかっているようでした。涙が溢れてきました。。 可愛がっていた馬が奪われるように売られたり、動物や自然界との絆が途絶えてしまう辛さが強くあったようです。
ずっとおばさんに育てられてきたので、両親や家族との絆について、日々考えることが多かったのだと思いますが、家のことを手伝いながら、わがままも言わず、自分を表現することもせず、調和を大事にしていた感じでした。そうすることで、家族が上手くいき、幸せだったからです。 そういう癖みたいなのが積み重なって年老いていき、我慢することが普通で、そこに対して何にも疑問も持たず、納得した人生を過ごしていました。 彼の最期は、顔も心もくしゃくしゃでしたが、とても穏やかで、周りの人たちに穏やかに見守られて、自分の人生にとても納得をして肉体を去りました。。 肉体を去る瞬間、光になり、肉体を見下ろしながら、「さ、次の旅に出掛けよう」って、今までのあの重たさはどこへ?ってくらいに、とても軽やかで、ふわっとしたピュアな感覚と、ワクワクした感覚で、次に向かっていきました。
ほんの一瞬でしたが、とても印象的で、魂そのものを経験したんだと、後から思いました。 そこから亡き父に会い、今の状況を話しました。 父は最初から笑っていて、温かい言葉をくれました。「選択したことは間違っていない、人に善くして行けば大丈夫。周りが助けてくれるから。」と。
そして、受け取ったメッセージは、「心のままに」 重荷=頑固さ。それを手放して、それを降ろして、心のままに。。 シンプルですね エマ先生の癒しの声の中で、魂の旅をさせていただき、セッション後の自分の感覚に深みを感じています。より人生の旅が面白いものになっています。 今の私は、好きなこともできるし、自分が思うことを遠慮なく表現できる場所もあるし、心の繋がりとか精神的なことを勉強して、話し合える仲間もいるし、すごくすごく幸せなんだって改めて実感しています 「これでいいのだ」、、ですね 私も自然界と対話する時間が大好きなので、これからは彼(ロイさん)と一緒にその時間を楽しんでいきたいと思いました
療法によって、過去も癒すことができて、自分自身との絆も深くなって、とても素晴らしかったです
はじめは、催眠という言葉の印象に勝手な思い込みがありましたので、興味はありつつ、まさか自分がヒプノセラピーを受けるとは思っていませんでした。
しかし、催眠は特殊なことではなく、音楽を聞いて感動するときなど、普段から催眠状態になっていることを知り、安心したことと、表面的なところではなく、自分自身の深いところで自分の人生を納得して生きていきたいと思い、セラピーを受けることに決めました。
結論から申しますと、ヒプノセラピーを受けたことで、自分の選択に自信を持って過ごせるようになり、人生の流れもスムーズになったように思います。
まず、過去世の自分や生活を感じたことで、今の自分も愛おしく感じられ、そのときに叶わなかったことを今世でやってみるね、という気持ちで生活するようになりました。
また、昔飼っていた犬にも出会わせていただき、ずっと心に引っかかっていたことを伝えることができ、とても癒されました。この再会は、自分の癖にも気づかせてくれるきっかけにもなりました。
そして、自分のマスターに出会い、パワーのあるメッセージを受け取ったことは、とても心強く、これでいいんだと納得することができました。自分を見守ってくれている存在を感じながら生活できることは、自信にもつながっています。
催眠というと、最初の私と同じように恐いと思われる方もいらっしゃると思いますが、眠ってしまって違う世界に行くイメージではなく、自分の直感や潜在意識からの合図やキーワード、そしてメッセージや映像、感情などをエマさんのガイドで辿り、掴んでいくようなイメージです。
最初は、なんとなくの合図やキーワードだったものが、だんだんと具体化していき、リアルになり、感情も感じられるようになる過程は、不思議な体験でした。
セラピー中、何度も涙がこぼれました。一番感情が溢れたのは、過去世の自分の母の感情が入ってきたときです。過去世の自分を母の目で客観的にみたときに、もっと自分に自信を持ったらいいんだよ、という過去世の母の温かく、強い気持ちが流れ込んできて、涙が溢れました。言葉だけではなく、その感情を丸ごと味わえたことは、ヒプノセラピーならではだと思いました。
また、今の夫は、過去世では、私の兄だったようで、彼の過去世からの課題も垣間見ることができ、彼がもっと楽になるような言葉がけを心がけるようになりました。
ヒプノセラピー後、数日余韻にひたり、不思議な感覚を味わいながら、自分の人生をしっかり生きる覚悟ができました。
「あなたは、この人生で何を学びましたか?」
今もこの問いを思いだしては、ヒプノセラピーでの感覚を味わっています。
今回初めてヒプノセラピーを受講した感想を投稿させて頂きます。
人により、過去世が見える場合や、
幼少期などインナーチャイルドを
見つめる必要がある時はその場面が
浮かぶことがあるそうなのですが、
私は過去世と、ハイヤーセルフが
映像としてしっかりカラーで見ることができました。
そして終わった後はとても心がスッキリしていました。
最初にエマ先生の誘導で、催眠状態になり、
ゆっくり過去に戻っていくと、
昔の時代で、中国大陸などのアジア圏で
中東にも近いようなどこかの山岳地帯の
貧しい田舎の景色が出てきました。
そこで8歳〜10歳くらいのボロボロ服や草履を履き、髪の毛もボサボサしている
小さな少女が出てきて、岩や穴を利用したような場所で貧しく暮らしていました。
家族はおらず、家族ではない人達に面倒を見てもらっていました。
友達もおらず、十分な食事もとれず、娯楽もない生活で、孤独や虚無感を感じながら
自分の気持ちを押し殺し生活しており、だんだんと感情を表すこともできなくなっていました。
面倒を見てくれている長老のような
お爺さんとも繋がり、その人から
過去世の自分を見ると
「子どもなのに自分を抑えて生きている。幸せになって欲しい。栄養が足りていないから体に気をつけて欲しい」という、長老のお爺さんのメッセージも受け取ることができました。
自分にとって大切な場面を思い出してくださいというエマ先生のガイドで、
違う場面に切り替わったのですが、
そこは一面の雪景色になっていて私の姿は少し感じ取りにくくなっていました。
山岳地帯なのでたくさん雪が積もっていました。
前世退行催眠療法について
- 催眠療法とは、顕在意識の奥に存在し、意識の90%以上を占めている潜在意識と顕在意識がつながった状態で行なう心理療法です。催眠状態に入ることで潜在意識の中にある記憶を確認し、理解することが可能になります。
- 朝目覚めた瞬間、そして入眠の直前もこのθ波、α波になっています。なので一日の中でこの時間帯というのは催眠状態、または変性意識状態になっているのでこのタイミングは潜在意識に暗示が入りやすい状態です。起きた瞬間、入眠のタイミングはポジティブな感情を呼び起こすものをイメージするだけで、肯定的な波動が潜在意識に刻まれます。
- 「催眠状態」は誰もが日常生活でそうだとは気づかないまま経験していおり、決して特殊な状態ではありません。催眠状態を変性意識状態、つまり日常的な意識状態以外の意識状態と呼びますが、これがいわゆるトランス状態、催眠状態です。
- ヨガや瞑想中、スポーツに夢中になったり小説や映画の世界観に意識が埋没している時もこの意識状態であり、言い換えると催眠に入っているといえます。
- そして催眠療法というのは、意図的にイメージと誘導する言葉でその催眠状態を作り出し、時空間を超えて前世や今の人生の過去に退行して必要な気づきや再体験、再構築をしていく手法です、
- 前世退行催眠療法では、セラピストのガイドによって催眠状態に入り、クライアントが知る必要のある過去や前世に戻るわけですが必ずしもセッションの目的通りの過去生に辿り着くという保証はありません。
- まったく予想していなかった過去生に戻ることも、年齢退行で子供時代に行く場合もあります。
- 催眠に入ったときの状態は一人一人違います。私たちの骨格や体型、考え方のパターンが異なるのと同じで催眠状態にも個性があります。
- まるで映画を見るように映像が広がりストーリーが進んでいくと思っていたり、あるいはそうでなければ催眠状態ではないと思ってしまう人が多いのですが、この様に映像とストーリーが展開していく人は全体の10%ほどで、多くの場合は「そんな気がする」「そのような感覚がする」という感覚的、あるいは直感的に受け取ります。
- はっきり見えていても途中でぼやけたり、感覚的にそんな気がすると思ってたら急に映像が浮かんできたり、催眠に入ってからも一定ではないかもしれません。
- 「なんとなくそんな気がする」という感覚を大切にしながらイメージを広げていと最初は「なんとなく」だった感覚が、どんどん潜在意識の領域が広がりより深い催眠状態に入っていくことができます。
前世や過去を知ることで癒やされるのはなぜ?
- 意識が過去や過去生に経験した痛みや苦しみ、トラウマの記憶を「理解する」ことがなぜ癒しになるのか?
- それは私たちの心の最深部は三次元的な時間の法則に縛られてはいないため、過去の出来事を書き換えたり、再編成したりすることが可能になるからです。時間の法則を超えることは原因と結果の法則も超えるということなのでトラウマを取り消すことが可能になりるからです。
- 「私たちの怖れは大抵、すでに起きたこと、もっと若かった頃や過去生で生じた出来事に関係しています。でも恐れた事は、既に終わっているのです。私たちがしなければならないのは、思い出し、過去に目覚めるだけです。」
- ーブライアン・L・ワイス博士
- 例えば、今の生活の中で理由もなく感じている不安や、特定の対象への、理由のつけられない恐怖があったとします。それは過去の出来事を忘れているだけ、あるいは潜在意識に記憶された過去生の思い出が表面に現れているのかもしれません。それを思い出して理解するとその感情は消えていきます。これが前世療法、年齢退行療法、胎児期退行療法、未来世療法です。
催眠療法によって得られること
- 悩みや心配ごとの軽減や解消
- なぜ自分はこの世に存在しているか」などの根源的なテーマの追求
- 自分の過去世での生と死の体験
- 肥満、喫煙など自分にとっての悪習慣の除去
- 既に亡くなった人との再会
- 自分のマスター、ハイヤーマインド(自分を守ってくれる存在)との対話
- 自分が病気に罹っている意味を知り、そして健康への道を見つける
- 現在悩んでいる人間関係について、その人との過去世でのかかわりとその解決方法を知る
- 現在病気で薬を飲んでいる方は薬の影響でイメージ力が低下していたり、集中できないこともあります
セッションまでの流れ
- STOREから「ヒプノセラピー」を購入していただくと12時間以内にメールを差し上げます。その後メールでのやり取りでセッション日時を決めさせていただきます。
- 時差の関係により個人セッションは基本的に日本時間17時以降の受け付けになります、ご了承ください。
- 特別なご相談内容がある場合はメールにてお伝え下さい。
- info@pranaforestlife.com からのメールを受けとれるよう設定をしてください。 迷惑メールの設定によってクラスやセッションリンクの送信ができないことがありますのでご注意ください。
キャンセルについて
- セッション日時の48時間以内のキャンセルでのご返金は致しかねますのでご了承下さい。
- ご連絡無しのセッションへの遅刻はお約束から10分経過した時点で当日キャンセルとなります
- ZOOMのテクニカルなサポートは行っておりません。